親と子、他人、そして自分

どうも、管理人です。

先日どこかのまとめサイトにて
某古本屋チェーン店にて闇深家族を見たという見出しの記事がありました。
内容を見てみると父子のやり取り。

子供「パパ~パパ~、きて~」
父親「…呼び方!」
子供「…パパ来てください」
そして、父親はムスっとした表情で子供に近づいて行ったとのこと。

これを見ていた投稿者は父親に不快感(風貌も不快感の一つの要因ではあったようですが)を覚え、

子供が不憫だと感じたようです。

こんな事でイライラして器の小さな父親だと。子供は委縮していたと。

(※投稿者の書き込みの文言はあまり気分の良いものでは無かった為、
無難なものに書き換えさせて頂きました。父子「」内のセリフはそのままです。)

この記事を見た多くの方もおおむね同じような意見でした。

ただ、管理人として思うことは
外で親が子を叱るのを見せられるのは確かに気分は良くないし、
子供が委縮するような叱り方はもちろん良くないと思います。
しかし親も人間、時にはイライラしていることもあるでしょう。
古本屋に来る前にも家で一悶着あったりしたのかもしれません。

私が言いたいのは、目の前で起きたことをそのまま解釈するのではなく、
バックボーンまで想像想定してうえで発言してはいかがだろうかと。

一般的な父子ならこのわずかなやり取りよりも膨大な時間を一緒に
過ごしてきたはずです。(投稿者は子は3歳ぐらいだったと述べています)
常日頃から委縮するような育てられ方をしているのならば、
子の最初の一言「パパ~パパ~、きて~」なんて無邪気な言葉さえ出てこないのではないかと。
外ではきちっとしたいなどの方針で厳しくしつけ、
家の中では案外優しい父だったりするのではないかと。

私自身、子を持つ父であるがゆえの父親ひいきの目線であり
その想像でしかなく、事実はわかりませんが…

時々、妻はどこかで聞いてきたり見てきたりで影響を受け
子育てに対する綺麗事を言います。(私はこの綺麗事があまり好きではないのですが)
そして数日間はそれを実行しようと妻は奮闘するのです。
(この綺麗事も上手くいっている間は子供も親もいい感じです)
しかし子供と四六時中一緒にいること、接することのストレスは大きく
また子供にだって調子の悪い日や、イライラしている時があります。
その親子両者のダメな時がかみ合うと、
いつしか実践していた綺麗事は崩壊し、妻は怒りに任せ叱りつけます。
そして一通り怒り落ち着いた後、やってしまったと自己嫌悪におちいるのです。
私はそれで良いのだと妻にいいます。子も人、親も人、時には感情を抑える
事が出来ないこともあるでしょう。
私自身も同様で怒り叱った後、自己嫌悪になったり、逆に「これで良かった」などと、
正当化してしまったり。
ただ、最終的には子と納得するまで話し合いお互い謝り、許しあえればそれで良いではないかと。(それさえも、親子にとっての成長ではないかと思います。)

そんなことが日常的にあるわけで、ほんのわずかな父子のやり取りを見て
不快に思うのは自由だが、あなたはその父子の何を知っているのかと。
器が小さいなどと決めつけるのはおこがましとは思わないのかと。

などと、思ってしまう私自身も器が小さくおこがましい人間なんだろうなぁと
反省しなければならない点が沢山あると思ったお話でした。

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